エンタメ至上主義

迷ったら楽しいほうに舵を切る人生

幻想のパレード

「本当」だったら

本当だったら、本来は、予定では、4/28の私は熊本から帰ってきておみやげのいきなり団子やら黒糖ドーナツ棒やらを摘まみながら、推しのTwitter投稿にいいねを押しほくほくと過ごしていたはずなんです。

緊急事態宣言下で、当たり前のことながら中止になった舞台の地方公演。東宝ミュージカルや宝塚と違って、2.5次元はなんというか社会的認知度などの兼ね合いでしれっと公演できてしまうところもあり、3月下旬のギリギリのタイミングまでは上演していたんですが、3月末からは全舞台中止になっています。バブルのようなブームで膨れ上がっていた作品・公演数で、連日稽古と公演で大忙しだった俳優たちが突然のお休みに戸惑っている姿を見て、ふと「あっ夢の終わりがきたかも」なんて思ってしまった。深い意味はないし、これが実感を伴ってほしくはないんだけど。

熊本公演は、4/24(金)のチケットを取っていた。まぁミュージカル『刀剣乱舞』なんですが、これがもう本当に今チケットを取るのが大変で!数年前まではここまででは無かったんですよ。ヒィヒィ言いながら頑張って取ったチケット、どうしてもこの日の公演に行きたかった理由は推し俳優さんのお誕生日が4/23だからです。刀ミュは「キャラクターであること」に重きを置いているので、舞台上でそれを崩すこと、俳優本人に向けてみんなでお祝いするような展開は許されていないのですが、それでも現地に行って、彼の22歳の初舞台を観て、プレゼントボックスにお手紙とプレゼントを入れたくなってしまうのがファンの性。

地方公演となると、ついでに友人同士で現地を観光して美味しいものとお酒を飲んで…というのが、舞台界隈にいる人間の楽しみかたのスタンダードな気がします。私もここ数年そんな遊びを数えきれずしてきて、舞台公演と現地観光はもうセットで思い出になってしまっている。まぁ中止となったので適わずだったのですが、2ヶ月前チケットが取れた段階で「何日に現場入りして、ホテルは会場近くに取って、友人に声かけてこの日は天草観光して、この名物を食べるから、〜じゃあ帰りの飛行機はこの時間!」というところまでシュミレートして諸々手配を進めてたの、冷静に考えるとすごいな?これが、ひどい時だと毎週地方公演を追いかけて遠征を繰り返す生活を数ヶ月続けて、行き帰りの移動中は疲れに疲れて爆睡…ということも多々ある。これが私たちのスタンドダード、だったんだものね。やっぱりちょっと忙しすぎて豊かすぎて、色々なものが過剰だったのかもなと思う。

 

オタク、正気に戻る

友人からLINEで連絡がきた。いわく「今の生活が幸せなのかもしれないね…」。明らかに様子がおかしいので「!?」を3つも付けてどうしたのかと訊ねると、「もう2ヶ月推しの現場に行っていなくて、でも彼もいま暇だから毎日生配信とかしてて、それを観ながらお酒を飲んで笑ってるぐらいで、今までみたく必死に現場に通ったり円盤や写真集を積んだりしなくても良いんじゃないかと思ってきたよ…」とのこと。私は動揺した。この人、正気に戻りかけている。

思えば、ここ1〜2年の彼女は異常で、グッズの全収集は朝飯前で写真集が発売するときたら30冊は買い込むしイベント全通やら舞台全通やらもするようになり、しかも彼女の推しも仕事を選ばずにガンガン働くので、はたから見ると二人三脚で馬車馬のように動き経済を回しているな…感があった。異常が当たり前になって、面白くすらあった。まぁ、それは彼女に充分な収入があってそれだけ趣味に費やしても実生活が(金銭の面では)脅かされないであろう担保があったので周りも面白がっているんだけど、なんというか、この自粛生活ってやっぱり「禅」みたいな作用があって人の煩悩を整理してしまうんだな…と素直に感心してしまった。

そのあと、ZOOMで2時間ほど話し込んだんだけど、「私今月の払い戻し15万円だったんだよね」に続いて、「15万円って…冷静にひと月に趣味に使って良い金額じゃなくない?」「最近料理をしてるから、このお金で良いお皿とか調味料とかいくらでも買えるなって」「あと、部屋に積んである写真集(30冊)、邪魔だなぁ…って」と、もうなんだか「ポストって赤いよね」ぐらいのストレートさな台詞がどんどん湧き出てくるから、悪いなと思いつつずっとニヤニヤしながら聞いてしまった。こないだまで、普段使い用・予備・永久保存用に3個注文しようとしていた推しの目覚まし時計(7,000円)を1個だけ注文するに留めた‥と言うので全力で褒めた。

これは自論なのですが、舞台界隈にハマった人間はまずもれなく物事における価値の判断基準がチケット代になるのだけれど(最近だと8〜9,000円ぐらいが一般的?)、「このお金があれば一回舞台に行けるな」と正気を失い回数を積みだすのが沼の入り口で、「このお金があれば他にできること沢山あるな…」と正気に戻り他にお金を回し出すのが沼の出口だと思っている。一旦ガバガバになった金銭感覚が唐突に現実世界に戻ってくる瞬間がふと訪れるのである。いやぁ、チケット1枚分の金額でできる楽しいこと世の中に山のようにあるからね…。

話を聞き終わり、異常だなと自分で思えたのだしこれを機に思いきって辞めてみたら?と伝えてはみたものの、どうなるかは今のところ分からない。まぁ分からないよな感情だもの。私も彼女の話を聞きながら、そしてこの生活をしながら自分の生き方を振り返っているけれど、色んなことが過剰で欲張りだったなぁという反省はありつつ後悔は全くしていない。私は感傷的な人間なので、理性を働かせて論理や逃げ道確保を大事にしつつも、いつだって優先するべきは今であり感情だ、と思ってしまう。明日死ぬならどうしたいか?をわりと本気でいつも考えてしまう。明日死ぬなら今日は推しを観ておきたいな、を積み重ねた毎日だもんね。

ちなみに翌日彼女から「昨日あのあと課金式の生放送があり無事に課金した」という懺悔が送られてきたので、解脱にはまだ程遠いと思います。

 

幻想のパレード

私がいないところでも。飛行機も新幹線も船もあちらこちらへ物や人を移し運ぶし、商業施設は賑わって、把握しきれない数のエンタメ作品は封切られ、夢の国のパークはいつだって人で溢れている。「私が居ない、知らないところでも、いつだってパレードは動いている」という感覚があって、実際に世界はそうだったのに、気づいたら今やもう、そうでは無いんだね。

この不自由さ、地元で暮らしていた18年間の感覚に近いかもなと最近考えている。どこかに行きたい、行ってしまいたいけど、今は何にもできない。そんな感覚。ここではないどこか、少なくとも今はどこにも行けないし、多分まぁこことそう大差は無いと思う。人間の集合体がやること自体にそんなに差はないと思う。違うのは社会の成熟度というやつ。だから本当、ここから頑張らなきゃいけないんだよね。

ここから少しでも良い未来にして、そこに行かなきゃねと思う。私はもう見物客ではないのだから。

 

現実のバースデー

ちなみに興味がないとは思いますが、コロナ緊急事態宣言下における推しのバースデー、つまるところ4/23Xデーですが、「誕生日前日の23:00からニコニコ動画で番組を生配信をする」という、多分本人もやりたくて、かつ我々ファンが喜ぶことをちゃんと考えてくれたんだなという企画をやってくれました。日付が変わる10秒前からのカウントダウン、4/23になった瞬間に推しが歌う「Happy Birthday to me〜」(歌が上手いんです)、マネージャーさんの家の冷凍庫から持ってきたというホールケーキ(生ケーキは買いにいけないから)、マネージャー発案でファンから募ったお祝い画像(その数なんと1,200枚)を現像して一枚ずつ納めたアルバムのプレゼント、ご両親への感謝タイム(お母さんは毎回生配信を観ているらしい)、物凄く楽しそうな推しが語る22歳の抱負などなど、こんなハートフルな1時間半ある?というぐらい良い内容でした。楽しそうな顔を見て本当に安心した。

役者を志す人間の頑固さや意地や矜恃をあまく見ているわけではないんだけど、仕事をしたくてもできない状況で、かつ世の中の動きも自分のキャリアもどうなるか予測ができない現状だと、良くも悪くも人生について考える機会になってしまうんじゃないか…とちょっと心配してたんですよ。まだ若いから、キャリア転換を視野に入れてしまうんじゃないかと。

この悩みというか心配を友人にぽろっと溢したところ、「ステージに立つ人間は、たとえ1人でも観客席に人が座って自分を待っていたら、舞台から降りるのを躊躇うと思う。」というもの凄く素敵な言葉をもらったのでここに書きます。だから、誕生日のそのお祝いメッセージとかは多分本当に彼の芸能生活の糧になるし舞台にとどまる理由にもなるよ、と。

この言葉がずっと胸に響いていて、そしてやっぱりだれかに好意の意思表示をすることは大事だなと思い出して、それから日々時間を見つけては好きな人たちに手紙やメッセージを書いています。好きな作家さん、ミュージシャン、友人、家族。いつだってその時にしか書けない言葉があるんだけど、今はより明確に今じゃないと書けない言葉が沢山あると思うから。とりあえず書いておく。そのうち送るので、受けとってくれると良いな。

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プレゼントのアルバムを受けとって喜ぶ推し(顔が映ってないからゆるされるかな)

 

オチは無いよ!日記なので。これからこういう更新を沢山増やします。意味がなくて、多分あんまり読まれなくて、なんでもないことを言いたい気分になっている。