エンタメ至上主義

迷ったら楽しいほうに舵を切る人生

セルフケアと旅への向き合いかた

8月13日の日記、またはセルフケアについての一考

夏の3連休の最終日だ。世間で言うと「お盆」にあたる時期だが、独身都内在住会社員である私は、社会人になってからどうもこのお盆を大事にしたことがない。世間が休むタイミングは、仕事が楽で東京の街は空いている。大混雑の東京駅を掻き分けて、考えたくもないほど渋滞する高速を乗り継いで、実家に子どもの顔を見せに行く必要もない私は、大型連休はいつも少し気の抜けた東京で過ごす。

今日は本当は予定があったのだが、同行者の体調不良によりキャンセルになってしまった。仕方がない。それにしても、世間では第何波か分からない感染症の流行がおこっているというのに、私の身体は一向にうんともすんとも言わず(親しい人には話しているが、ワクチンの副反応すら起こっていないのだ)、こうなると丈夫というより鈍感なのでは?と不安になる。

そんなわけで、今日は一日家で過ごしている。最近平日の忙しさにかまけて家が荒れていたのだが、休みの間に少しずつ世話を進めたので、今は非常に快適な我が家。服を洗ってアイロンを掛けて最近着ていないものは処分した。2LDKの使っていない一部屋にずっと積まれていた段ボールを開けて、本棚に本とCDを並べた。部屋中に掃除機をかけ、電源スイッチの上、床の角、冷蔵庫の上など普段触れることのないあらゆる部分をウェットシートでそっと撫でた。

こうして部屋の世話—— 片付け、メンテナンスをしている間、私はよく「セルフケア」について考える。埃が積もっているから拭く、散らばっているから元の位置に戻す、汚れているから洗う、過多だから処分する。それも状態が深刻にならない内に、できれば毎日、難しければ週に一度でも。

自分が「物が少なく、片づいた、生活感のあまり無い部屋が好きだ」と気づいたのはわりと最近のことである。考えてみると、ホテルが好きなのだからすぐにその結論に行き着いても良い気がするが、長年ホテルの「非日常さ」が好きなのだと思っていた。ちがった、片づいた部屋の「情報量の少なさ」「意識が行き届いている感じ」が好きだ。そこに居心地の良さを感じる。物に溢れた状態に居心地の良さを感じる人がいるのも知っているが、私は違った。32歳にしてようやく気付いた。(20代を丸まる物に溢れた25平米の狭い賃貸で過ごしていたので、当時の生活質を思うとゾッとしてしまう。自分のことを知らなすぎである。)

掃除が好きだ。果物の皮を剥いていつでも摘まめる状態で冷蔵庫にストックしておくことが好きだ。お気に入りのお茶を淹れてカフェイン量など気にせず飲み続けるのが好きだ。お風呂上がりのシートパックが好きで、気が向いたときにヨガマットを敷いて身体を伸ばしたり脚をオイルでマッサージするのが好きだ。これらは全て自分が快適でいるために必要なことである。Googleにセルフケアの定義を尋ねたら、「自己決定に基づく健康上の問題解決と自己管理」とあった。きっと「自分に必要なものを知る」までの試行錯誤のプロセスまでを含めて、ケアと呼ぶのだろう。これがご自愛ってやつなのだろうか?

 

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1日中お茶をしながら読書と動画鑑賞をしていた。『話すことを話す』『Nizi Project S2』『バチェラー・ジャパン 5』『R U Next?』。虹プロからのHYBEオーディション、2020年に戻ったみたいである。 


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冷蔵庫。ひとりで450Lの大型を使っている筈なのに気づくと中身がパンパンになっていて焦る。


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紙の書籍は大部分を処分して、7~8年前から電子に切り替えてしまっており、また紙に対する拘りも無いのでスカスカの本棚。寂しく感じたので暫くは紙書籍の購入も解禁します。

 

*ちなみに私は、ご自愛の定番?である、消費行動やコンビニスイーツなどではあまり癒されない。

*「他人のセルフケアを笑うな」という話ではあるが、男性のセルフケア下手問題、自分の身体性に疎い・解像度が低い問題、なんなんだろうな!?と久々に憤ってしまった。あなたたちの好きなプロセスと結果の宝庫だよこの分野は!

 

旅との向き合いかた

ホテルが高い。航空券も高い。

予約サイトを眺めていると思わず零れてしまう言葉だ。でもこれは、コロナ禍で緊急事態だった旅行業界が渋々引き下げた金額水準にたったの2~3年で我々の感覚が甘やかされ慣れ切ってしまっただけで、「もともとこんなもんだったよ」と戒めを込めて首を振ることにしている。いや、航空券は確かに上がっている(というかLCCの便数が少なくなって格安航空券の選択肢が取りづらくなった)が、ホテルは本当に今ぐらいの水準だった。一度セールをしてしまったら人間は定価ではなかなか買わなくなる、という通説が身に染みている2023年である。

先月末、韓国・ソウルに行った。5月の時は人と一緒だったが、今回はひとり。ENHYPENのコンサートがメインで、ついでに初の単独ソウルを楽しもうと3泊4日の長めの旅程にした。「こんなもの」と自分を宥めつつ、自分ひとりのための娯楽にお金をかけるのを躊躇してしまう私は、航空券はマイルで、ホテルはマリオットのポイント泊で、可能な限り現金を使わない方向でアシと宿を手配した。ちなみに行きはZIPAIR、帰りはJAL、ホテルは江南エリアの「アロフト ソウル 江南」である。

ひとりで見知らぬ土地を歩くのは良い。Googleマップがあれば、その場所の地図とマッピングされた自分の現在地が分かるから迷いようが無いし、現金もクレジットカードも現地交通マネーもあるので、バスでも電車でもタクシーでも乗れる。一日の予定を決めて、その時食べたいものを食べる。なんの不自由もなく、快適で、慣れた東京で過ごすより刺激のあるそんな数日間。

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旅行中の様子はInstagramのストーリーに載せていて、今もハイライトから観られます。

 

楽しい。間違いなく楽しんだ。なのに、自宅に帰り着いて思い返すと「しばらく旅はいいかな、少なくとも一人旅は」という気分になっている。実は今年、福岡や札幌を訪れた時もうすうす感じていた、この感情はなんなのだ。

仮説検証その一、「旅先のホテルの快適さを自宅が越えてしまっている」。これが最も有力。旅地で過ごす大部分、少なくとも1日の1/3の時間を費やすホテルの快適さが自宅に勝てない。勝ろうとするには相当に広く、自宅とはテイストの違うインテリアの部屋を選ぶ必要があり、でも毎回それをやるのは現実的ではない。いっそのことドミトリーやエアビーを選ぶべきなのだと思うが、ホテルの安心感と利便性が好きだ…。

仮説検証その二。「自分の旅のスタイルに飽きている」。生活スタイルや仕事の進め方にも個人の癖があるように、旅の仕方にだってある。どのように過ごすか、どんな場所を旅先に選ぶか、なにを着てなにを食べなにを見るか。私の旅スタイルは「暮らすように過ごす」である。街歩きが基本で、観光地には行かない、目についた美味しそうなものを食べ入りたい店に入る。東京で過ごす日々とあまり変わらない。確かに、自分でつくる想像範囲の味付けの料理に飽きるように、自分の意志決定のみで組み立てるそこそこの質が保証された85点の旅に飽きているのかもしれない。私の旅、思い返すと本当にトラブルが少ない…もっと予測のできない展開を求めているのかもしれない。

仮説検証その三、「都会に行くな」。そういう話な気もしている。東京と似た街は楽だ。安心安全に過ごせるが、食や文化やディテールは違う。その差を今まで味わっていた。だけど、もう充分なのかもしれない。少なくとも5日間以上の時間を掛けて30万円以上のお金を掛けて、不便で予測のできない場所に行くべきなのかも。ただ、正直想像しただけで億劫だ。転職した後の人生の夏休み期間に行くならまだしも、企業勤めで取得できる短い休みの間でそれをする覚悟、少なくとも3年に一度くらいしかできないかもしれない。

と、要因になっていそうな心当たりをいくつか挙げてみたものの、正直気分の問題なのでまだよく分かっていない。旅なんて、もともと億劫なものだ。航空券を決済する瞬間の嫌々ボタンを押す、諸々のリサーチ・手配、荷造りの面倒さ、それでも全部乗り越えて行くと楽しくてたまらない。その繰り返し。でも、暫くは外的要因が無いと旅に出かけられそうにない。(なんだかんだ昨年も今年も一人でした遠出は全てライブコンサート遠征である訳ですが…)

 

*自分にとってのストレス解消法が、ひとつ消えかけている状態なのでこれでも結構焦っている。これがコロナ禍の旅ブランクと昨年のハイテンションスター状態を経た結果なのか…